テレビで活躍するフリーアナウンサーとして知られる小宮悦子さん。
明るく親しみやすいキャラクターと、どこかほっとする笑顔で多くの人に愛されてきました。
その魅力は、見た目にもあらわれています。若い頃の初々しい可愛らしさから、今も変わらず愛される親しみやすさまで、小宮さんの顔の変化を振り返ってみましょう。
今回は写真とエピソードを交えて、昔と今の小宮悦子さんの魅力をたっぷり紹介します。
小宮悦子の若い頃(10代からテレビ朝日入社したて)

小宮悦子さんは1958年4月18日生まれ。学生時代の写真を見ると、すでに柔らかい笑顔と華やかさが光っていました。
初々しい雰囲気の中に、どこか大人っぽい落ち着きも感じられるのが特徴です。

アナウンサーを志す前から、表情豊かで人を惹きつける魅力がありました。
当時の髪型や服装も流行をうまく取り入れながら、自分らしさを出していたのが印象的です。
学生時代やアナウンサー初期の写真を見ると、丸みのある顔立ちや自然な笑顔がとても可愛らしく、思わず「昔から可愛いな」と感じます。
視聴者としても、初々しい笑顔は親しみやすく、テレビを通じてすぐにファンになった人も多いはずです。
小宮悦子の20代『ニュースステーション』に抜擢されるまで

『ニュース イブニング朝日』のリポーターとして経験を積み、『こんにちは2時』ではサブ司会に抜擢され、現場取材も任されるようになった小宮悦子さん。
ワイドショーで活躍しながら、まさに“これから現場で頑張るぞ!”というタイミングでした。

そんな彼女の人生を大きく動かしたのが、『ニュースステーション』立ち上げ時の女性アナウンサーオーディションです。
報道局次長の小田久栄門さんが、社内アナの実力をチェックしていたところ、
名古屋から日教組大会をリポートしていた小宮さんが目に留まります。
小田さんはその瞬間、
「これはいける」
と直感。
そして、“切り札”としてサブキャスターに抜擢したのです。
その理由は明確でした。
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自分の言葉で伝えられる力
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クセのない美しい音声
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知的な雰囲気
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男性視聴者にも好印象を与える色気
まさに、ニュースを伝えるための素質が揃っていたのです。
…しかし、当の本人はまったく納得していなかったというから驚きです。
小宮さんは後にこう振り返っています。
「やっとワイドショーで現場に行けるようになって、面白くなってきたところだったんです。
なのに、ニュースのスタジオで原稿を2~3本読むだけ…。
2~3ヶ月は泣きながら“元の番組に戻りたい”と言っていました」
現場が好きだった小宮さんにとって、突然のキャスター転身は大きな戸惑いだったのでしょう。
しかも、抜擢後も順風満帆ではありませんでした。
最初の1年間、彼女は“メイン席”に座れず、
“新人キャスターのお守り役”“教育係”のような裏方的ポジションに回されることも多かったそうです。
華やかに見えるテレビの世界ですが、人気番組の裏側は、努力と葛藤の積み重ね。
小宮悦子さんが今日の存在感を持つようになった背景には、
こうした“メディアの荒波を乗り越えてきたストーリー”があったのです。
報道ステーションメイン小宮悦子“声の壁” 日航機事故特集

放送ステーションメインキャスター席に並ぶようになってからも、小宮悦子さんの苦悩は続きました。
特に彼女を悩ませたのは、意外にも“声”だったのです。
当時、久米宏さんからは
「ニュースのときに意味なく笑うな」
「もっと声を低くしろ」
と何度も指示が入りました。
実は小宮さん、局アナ時代に“にこやかに、可愛く、元気に”という真逆の教育を徹底的に受けてきたため、声を低くするという指示はなかなか受け入れられなかったと言います。
しかし本番組では、可愛さより“重み”や“信頼感”が求められる…。
小宮さんは納得がいかないながらも努力を続け、結果、スタート時より2オクターブ低い声を習得することに成功。
ただ、この変化にはなんと 5年 もの年月が必要で、その間、声帯を痛めた回数は数え切れないほど。
それほどまでに、彼女は“伝える声”を追い込み続けたのです。
そして、そんな小宮さんの意識を根本から変える出来事が訪れます。

1985年の日航機墜落事故の特集で、番組が 犠牲者520人の靴をスタジオに並べたシーン。
その光景を見た瞬間、小宮さんは衝撃を受けました。
「テレビの力って、こんなにも大きいのか」
「この番組は、報道の新しい分野を切り開くかもしれない」
その強烈な気づきが、彼女の心を一変させました。

それ以来、小宮さんは一度も「辞めたい」と口にすることがなくなったと言います。
“伝えるべきものを伝えるために声をつくる”
──小宮悦子さんがキャスターとして覚醒した瞬間だったのかもしれません。
フリー転身後の小宮悦子

“テレ朝の顔”として走り続けた第二のキャリア
1991年、小宮悦子さんはテレビ朝日を退社し、ついにフリーへ転身します。
そして、記念すべきフリー初仕事は、なんと 大ファンの小田和正さんへのロングインタビュー。
この模様は翌年、NHK-BS2で『追いかけて、追い続けて〜小田和正の世界』として放送され、スタートから夢のような仕事を掴んでいました。
とはいえ、フリーになってもしばらくは“古巣の人”という立場が続きます。
長年テレ朝と専属契約を結んでいたこともあり、他局への出演はほとんどなし。
フリーになっても テレビ朝日一筋 の日々が続くことになります。
スーパーJチャンネルで“夕方の顔”に

1998年、小宮さんは新たな大役を任されます。
4月から、月〜木は『スーパーJチャンネル』のメインキャスター、金曜は『ニュースステーション』のサブキャスターという超多忙スケジュールに。
しかし半年後の10月からは、平日すべてを『スーパーJチャンネル』に一本化。
ここから小宮さんは 通算12年間、テレ朝夕方の顔 として、多くの視聴者に親しまれる存在になっていきます。
専属契約終了、新たなステージへ

2010年4月からは、サンデープロジェクトの後継番組『サンデーフロントライン』の総合司会を担当。
しかし番組は約1年半で終了し、これと同時に テレビ朝日との専属契約も終了。
この瞬間、小宮さんは本当の意味で“完全フリー”として再スタートを切ることになります。
声のプロの事務所へ転身

2012年5月、小宮さんはナレーターや声優が多く所属する 81プロデュース に加入。
報道キャスターとして磨き上げたあの低く安定した声が、ここからさらに新しい仕事の幅を広げていきます。
名古屋外国語大学で客員教授に就任

2014年からは 名古屋外国語大学の客員教授 に。
これまでの豊富な経験を学生に伝える“教育者”としての新しい顔も見せています。
の他アサヒグループ特別セミナーなども開催
2020年代 現在の小宮悦子さん

若い頃の小宮さんは、丸みのある顔立ちと初々しい笑顔が特徴でした。
アナウンサーとして活動を始めた頃には、少し落ち着きが加わり、大人の魅力が増しています。
そして現在は、年齢を重ねても柔らかい笑顔と親しみやすい雰囲気がそのまま残っています。
時系列で写真を比べると、「可愛さ」は変わらずに、落ち着きや知性が加わったことが分かります。
若い頃の可愛さと今の親しみやすさを合わせて、まさに「時を経ても魅力が色あせない人」と言えるでしょう。
ファンとしては、昔の写真を見返す楽しみもありますし、今の写真を見るとホッとする安心感があります。
小宮さんの顔の変化は、親しみやすさや自然な魅力の大切さを教えてくれる良い例です。
まとめ
小宮悦子さんは、若い頃から現在まで、その可愛らしさと親しみやすさで多くの人に愛されてきました。
初々しい学生時代の可愛さ、アナウンサーとしての落ち着き、そして現在の柔らかい笑顔。
どの時期も共通しているのは、人を和ませる自然な魅力です。
昔も今も変わらない小宮さんの笑顔は、見ている人の心をほっとさせてくれます。
これからも親しみやすさと可愛らしさを兼ね備えた、小宮悦子さんの活躍から目が離せません。
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